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浦和地方裁判所 昭和49年(ワ)700号 判決 1982年5月12日

原告

佐藤桂子

右法定代理人親権者

佐藤さ

右訴訟代理人

森謙

森重一

漆原良夫

右訴訟復代理人

紙子達子

江藤鉄兵

藤森克美

被告

社会福祉法人恩賜財団済生会

右代表者理事

犬丸実

右訴訟代理人

原長一

佐藤寛

桑原収

田中清治

青木孝

安井桂之助

小山晴樹

中田重吉

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告

1  被告は、原告に対し、一六七八万四〇〇〇円及び内一五七八万四〇〇〇円に対する昭和四九年一一月九日から支払いずみまでの年五分の金銭の支払をせよ。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告

主文と同旨

第二  原告の主張

(請求の原因)

<中略>

六 被告の責任

1  債務不履行責任及び不法行為責任

前記のとおり、さは、昭和四五年一二月二七日頃、陣痛が発来して被告病院に入院し、翌年一月四日原告を出産したが、原告は、未熟児であつたので、直ちに保育器に収容され、岡村医師の管理下において看護保育されることになつた。右のような事情にあれば、出産当日、原告は、亡桂二郎及びさを法定代理人として、被告との間に、未熟児である原告の保育事務処理を目的とする準委任契約を締結したというべきである。したがつて、被告は、右債務を被告病院全体として誠実に履行すべき契約上の義務があるところ、被告病院自体には後記2の義務違反があり、また、履行補助者である岡村医師は、未熟児である原告の保育担当医としての適切な処置を取らず、前記のとおりの義務違反があり、そのため、原告に両眼失明の傷害を負わせたから、右病院を経営する被告は、債務不履行として原告の蒙つた損害を賠償する責任がある。

また、被告は、岡村医師を雇用しており、同医師の前記義務違反によつて原告に両眼失明の傷害を負わせたから、民法七一五条により、原告の損害を賠償する責任がある。

更に、被告病院は、病院全体として、後記2のとおり、未熟児保育を担当する病院として、必要な産科及び眼科の協力体制、転医の体制などを取る義務に違反し、原告に両眼失明の傷害を負わせたから、被告病院を経営する被告は、民法七〇九条により、原告の損害を賠償する責任がある。

2  被告病院の医療体制の不備、怠慢

被告病院は、前記のとおり、一〇科の診療科目を有する総合的な病院であつた。総合病院は、診療科目中に、内科、外科、産婦人科、眼科、耳鼻いんこう科を含み、各科がそれぞれ高度に充実した医療技術、設備を有しなければならないのであつて(医療法二一条)、診療上各科が相互に連繋、共助し合うことによつて、患者に対し、最も科学的で適正な診療をすることを目的としている。

本症は、産科、眼科、小児科の各科にわたる疾患であり、右の三つの診療部門のいずれか一つに限定してその担当を考えることはできない。したがつて、右各科は、常時緊密な連絡、協力体制を取つておかなければ、重大な結果を招く危険があるから、総合的な病院である被告病院としては、未熟児を保育するについて、日頃から産科及び眼科間の相互の緊密な連絡体制を取り、酸素療法を施す場合には、できるだけ早期に眼科医による定期的眼底検査をし、これに基づいて適切な措置を取らなければならない。本症が進行している場合は、適期に光凝固法を適用すべく、産科及び眼科の協力のもとに右設備のある病院に転医させる措置を取らなければならない。医師が自らの病院で適切な措置を取れない場合は、時機に適したときに、他の人的物的設備のある病院に転医させなければならない義務があることは、既述のとおりであり、被告病院としても、日頃から他の病院と連絡し合つて、必要な場合、直ちに転医できる体制を作つておかなければならない義務がある。

以上は、本件医療契約に基づいて被告病院が履行すべき契約義務の内容であり、基本的かつ重要な注意義務であるのに、被告病院では、このような医療体制は取つていなかつた。そのため、岡村医師は、未熟児保育を担当する医師としての通常の措置を取ることができなかつた。(本件後、被告病院では右のような医療体制を取るようにしたが、それは、本件における義務懈怠を明らかに物語つている。)したがつて、被告病院は、医療体制の不備という注意義務懈怠によつて、原告の失明を招いたから、被告病院を経営する被告は、債務不履行又は民法第七〇九条の不法行為責任に基づいて、原告に生じた損害を賠償しなければならない。<以下、事実省略>

理由

第一当事者

原告が、昭和四六年一月四日、佐藤桂二郎とさとの間に二女として出生したこと、被告が社会福祉事業を行なうことを目的とする社会福祉法人であつて、川口済生会病院(被告病院)を経営していることは、いずれも当事者間に争いがない。

第二原告の失明

原告が、被告病院において、昭和四六年一月四日に生下時体重一、二〇〇グラムで出生し、直ちに保育器に収容され、担当医である岡村泰医師の管理下において看護保育されたこと、そして、同年三月中旬頃被告病院を退院したが、右保育中に本症(未熟児網膜症)に罹患したことにより退院後両眼を失明するに至つたことは、いずれも当事者間に争いがない。

第三原告の失明の原因

一保育経過

前記当事者間に争いのない事実に、<証拠>を総合すると、被告病院における原告の保育経過は次のとおりであつたことが認められ、これに反する証拠はない。

1  さは、昭和四五年一二月二七日、被告病院に入院し、昭和四六年一月四日午後五時五五分頃、出産予定日から五〇日以上も早く原告を出産した。

2  原告は、生下時体重一二〇〇グラムであり、在胎週数は二八週ないし二九週であつた。

3  さの出産の担当医であつた梶原医師は、出生後直ちに原告を保育器に収容するとともに、同保育器内に毎分五リットルの酸素を放流した。次いで、原告の看護・保育を担当した岡村医師は、昭和四六年一月八日まで毎分五リットルの酸素の放流を維持し、その後は、同月九日は毎分四リットル、同月一〇、一一日は毎分三リットル、同月一二、一三日は毎分二リットル、同月一四日から一八日までは毎分一リットルと順次放流量を減少させた。(酸素を放流した期間・量は当事者間に争いがない。)

4  右の酸素を放流した期間内における原告の状態は次のとおりである。

(一) (出産直後、一月四日)

原告は、出産直後は、老人様の顔貌をしており、四肢に軽度のチアノーゼを呈し、呼吸音が弱く、シーソー様の呼吸運動をしており、四肢の筋緊張がほとんどなかつた。

チアノーゼは、夜八時頃いつたん消失したが、深夜になつて再び発現した。

(二) (一月五日)

四肢にチアノーゼを呈し、午後一〇時頃にはうめき声をあげた。

チアノーゼは夜になつて消失したが、終日、呼吸音は弱く、体温は三四度から三五度、脈搏は一分間一一〇回ないし一二〇回であつたが、不整脈を生じていた。呼吸数は、午前中は一分間五七回から五四回であつたが、午後三時には一分間四三回となり、午後八時には一分間六〇回に増加した。

(三) (一月六日)

終日、チアノーゼを呈することはなく、四肢の筋緊張が見られたが、四肢運動は見られなかつた。呼吸音は、漸次増大していた。

体温は、終日三五度台を維持し、脈搏は一分間一〇二回から一三二回であり、不整脈はなく、呼吸数は一分間四九回から五三回であつたが、夜になつて一時、一分間六五回に増大した。

(四) (一月七日)

四肢冷感状態となり、午後にはうめき声を発したが、四肢の筋緊張は良好となり、四肢運動を始めた。

体温は、終日、三四度台であり、脈搏は一分間一一〇回から一二〇回、呼吸数は、早朝は一分間五八回であつたが、漸次減少し、その後一分間五二回となつた。

(五) (一月八日)

肺胞音はまだ弱かつたが、四肢運動をしていた。

体温は、三四度から三五度であり、脈搏は一分間一〇八回から一二五回、呼吸数は一分間四八回から五六回であつた。

(六) (一月九日)

顔面は普通状態となり、呼吸音が生じて来たが、胸腹式呼吸であつた。四肢冷感状態であり、体温は、三四度から三五度、脈搏は一分間一一八回から一二〇回、呼吸数は一分間五〇回前後であつた。

(七) (一月一〇日、一一日)

四肢冷感状態は解消し、体温は、三四度から三五度、脈搏は一分間九〇回から一二三回、呼吸数は一分間三八回から五〇回であつた。

一一日には呼吸が楽そうになつて来た。

(八) (一月一二日)

体温は、終日三三度台であり、脈搏は一分間一一二回、呼吸数は一分間三二回であつたが、呼吸停止をすることもあり、正午頃四肢にチアノーゼを呈した。夜になつてチアノーゼは消失したが、呼吸停止を繰り返した。

(九) (一月一三日から一六日)

体温は三三度から三四度、脈搏は一三、一四日は一分間一〇〇回以下となることもあつたが、一五、一六日は一分間一一〇回から一三〇回に増大し、呼吸数は、一三日から一五日までは、一分間四二回から四六回であつたが、一六日には一時六三回に増大した。

一三日から再び四肢冷感状態となり、一五日まで続いた。

(一〇) (一月一七日、一八日)

脈搏は一分間一二〇回から一三五回、呼吸数は一分間四四回から五六回であつた。体温は、三五度台であつたが、一八日から漸次上昇を始めた。

5  原告は、昭和四六年三月七日保育器から解放され、同月一五日被告病院の眼科に転科となり、同月二七日退院した。その間同月一〇日、同眼科の加部精一医師によつて本症と診断された。

二本症の原因・機序について

<証拠>を総合すると、次の事実を認定することができる。

1  本症は、一九四二年、ボストンの医師T・L・テリーが未熟児の水晶体後部に灰白色の膜状物を形成する失明例を報告し、一九四四年、これを Retro-lental fidroplasia(水晶体後部線維増殖症)と名づけて以来、その原因としては、母体側か患児側の先天性あるいは環境要因の関与、未熟児に使用する水溶性ビタミン、鉄剤、粉乳、電解質、輸血等が関係するという説、ビタミンE欠乏説、ウイルス感染説、ホルモン欠乏説等多くの説が唱えられたが、一九五一年に、オーストラリアのK・キャンベルが未熟児保育時の酸素過剰が原因であると主張し、その後のアメリカにおける疫学的研究の結果や、アシュトン、パッツらによる動物実験の結果も、K・キャンベルの酸素過剰説を支持するものであり、かつ、一九五〇年代後半に、アメリカにおいて未熟児に対する酸素投与を制限したことにより本症の発生率が激減したことから、本症が酸素をその原因とするものであることは、医学界における通説となつた。

2  そして、現在では、本症の発生機序については、次のように考えられている。すなわち、

胎児の網膜血管は、胎令八か月になつても耳側周辺部の網膜まで発育するには至らず、まだ未完成の状態にある。したがつて、この時期に出生すると、網膜血管は胎外環境で発育することになるが、この発育期の血管は酸素に敏感であり、動脈血の酸素分圧(PO2)が上昇すると、強い収縮を起こし、ついには不可逆性の血管閉塞を招来し、その後環境酸素濃度が低下し、動脈血酸素分圧が正常に戻ると、閉塞した血管の流域は酸素欠乏状態となり、網膜に異常な刺激をもたらし、静脈のうつ血と毛細血管の新生及び増殖が起こる。

そして、この新生血管から血漿成分が管外漏出することによる滲出性病変に続いて増殖性変化を来し、ついに瘢痕性収縮のため、網膜は破壊的変化を蒙る。

三因果関係

前項の認定によると、本症の発生原因としては、一般に、未熟児の網膜そのものの未熟性及びこれに対する酸素の投与であると考えられる。

そうすると、原告は、前記のとおり、在胎週数二八週ないし二九週で出生した後、一四日間にわたり継続して酸素の投与を受けたから、原告が本症に罹患した原因は、未熟児である原告に対して酸素を投与したことにあるということができる。

もつとも、本症の研究者である植村恭夫医師は、網膜内皮細胞の崩壊が酸素の直接の毒性効果によるのか、血管収縮、閉塞による循環障害の結果起こるのかはまだ明らかにされていないと述べており(乙第一三号証の一)、網膜が不可逆性変化を起こす例が出生体重一五〇〇ないし一六〇〇グラム以下、在胎週数三二週未満のものに圧倒的に多いことから、網膜の未熟性が患児側の要因として挙げられることには異論がないものの、酸素の投与を全く受けなかつた未熟児や、満期成熟児にも本症の発生を見ることがあるのであつて、胎盤異常、あるいは出生後の光の射入その他の酸素以外の原因によつて本症が発生する可能性もなお否定されていない状態にあり、本症の原因・機序にまだ未解明の部分が残されていることは否定できない。

しかし、そうであるとしても、医学界における通説的見解が本症の原因であるとしている網膜の未熟性及び酸素の投与のいずれの因子も肯定される本件においては、右各因子が本症発症の原因であると推認することが最も合理的であつて、右未解明の部分があるからといつて右推認を覆えすことは妥当ではない。

第四被告病院担当医の過失

一酸素投与に当つての注意義務

1  未熟児に対する酸素投与の必要性

<証拠>を総合すると、次の事実を認定することができる。

新生児の血中酸素濃度は、分娩後に呼吸発来するとともに急速に上昇し、生後三日以後ではほぼ成人の恒常状態を維持するようになるが、未熟児の場合は、肺の未熟性から肺胞の拡張が十分に行なわれず、また、肺の未熟性及び肺胞上皮からの表面活性化物質であるdipalmitil-lecitinの分泌不足(殊に在胎週数三二週未満では極端に少ない。)から気道の抵抗が大きいこと等の要因から呼吸障害を起こしやすいうえ、静脈側から動脈側への肺内短絡により肺換気効率が低下している場合が多く、未熟児、特に生下時体重一五〇〇グラム以下の未熟児の死因では、肺換気異常が圧倒的に多いとされている。

したがつて、未熟児の低酸素症・無酸素症に対しては酸素療法が不可欠であり、未熟児の救命率の向上が酸素療法に負うところが大である。そして、酸素療法を施さない場合は、低酸素による脳性麻痺などを発生させる危険を増大させる。

なお、未熟児の低酸素症の診断は必ずしも容易ではなく、正確には、動脈血の血液ガス値を測定して確認するほかないが、動脈血の採取装置が高価であることもさることながら、採血手技に困難を伴い、しかも、測定値にばらつきが出やすい等の理由から、臨床に実用するのは難かしく、臨床上は中心チアノーゼ、無呼吸発作、努力呼吸等の臨床所見に頼つているのが現状である。

2  酸素投与の基準

右のとおり、未熟児の低酸素症・無酸素症に対しては、酸素療法が不可欠の治療法となるが、一方では、前記のとおり、未熟児に対する酸素投与は本症発生の原因となるのであり、低酸素症・無酸素症の未熟児に対して酸素を投与するときは、医師は、患者の生命、健康の管理を業とするものとして医療行為に伴つて起こりうる危険の予防・回避については、専門家としての高度の医学知識に基づいて自己の取りうる最善の処置を取るべき注意義務を負うのであるから、できるだけ相互に矛盾する要請(救命ないし脳性麻痺予防と本症発生の予防)を双方とも満足させる医療行為をすることを期待されているというべきである。

そこでまず、本件当時、未熟児に対する酸素投与について医学界においてどのように考えられていたかを検討する。

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一) 未熟児に対する酸素投与については、昭和四六年一月当時、

(1) ガードナー法

酸素投与量を決定するについて全身的なチアノーゼを目安にする方法である。すなわち、未熟児に対してルーチンに酸素を与えることは避けるべきであり、呼吸障害やチアノーゼがある場合に限つて酸素を使用し、チアノーゼが消失するまで酸素濃度を高め、それから除々に酸素濃度を下げて、軽くチアノーゼが現われるときの酸素濃度を調べ、その濃度の1/4だけ高い濃度に維持する。

酸素療法中は、ときどき保育器内の酸素濃度を減少してみて、チアノーゼが現われるかどうかを観察し、チアノーゼが現われなければ速やかに酸素を減量ないし中止するというものである。

(2) 眼底検査をガイドラインとする方法

眼科医が眼底の反復検査をし、網膜血管径の太さを目標として適正な酸素濃度を保つよう調節しようとする方法である。

(3) 動脈血酸素分圧(PO2)を測定する方法

動脈血酸素分圧を継続的に測定し、その値から酸素の投与量を加減する方法である。

の三つの考え方がそれぞれ主張されていた。

(二) しかし、まず、(2)の眼底検査をガイドラインとする方法は、現在では、本症が特に発生しやすい生下時体重一二〇〇グラム以下の極小未熟児の場合、生後一か月以上もhazy-media(眼球混濁)が続き、眼底検査を満足に行なうことができないこと、本症の発生機序からすれば、動脈血酸素分圧の値(PO2)が最も重要であるのにかかわらず、PO2の値と網膜血管径の間には相関関係がないことが明らかにされており、眼底検査を酸素投与のガイドラインとすることは無意味とされている。

次に、(3)の動脈血酸素分圧(PO2)を測定する方法は、前記のとおり、動脈血の採取装置が高価であること、採血手技に困難を伴い、測定値にばらつきが出やすい等の難点のあるうえに、PO2値は当然動揺するから、PO2値をガイドラインとするには、常時これをモニタリングすることが必要となるが、頻回の測定、追跡は困難であり、比較的容易に行なうことのできる腹部大動脈からの動脈血の採取も、網膜動脈のPO2値と、腹部大動脈におけるPO2値との間には相関関係が認められないとの報告も存し、また、本件当時、網膜動脈PO2がどの位の値を示せば本症が発生するのか、換言すれば、PO2値の安全限界について定説はなかつたのであり、要するに、本件の昭和四六年一月当時において、動脈血酸素分圧(PO2)を酸素投与のガイドラインとすることは、臨床上不可能であつた。

更に(1)のガードナー法について検討する。

乙第二二号証によると、昭和四三年九月、日本小児科学会新生児委員会は、未熟児保育に関する勧告として「未熟児管理基準」を発表したが、右の基準においては、酸素の投与について、単に酸素投与は医師の指示によつて行なうべきこと、保育器内の酸素濃度は定期的に測定・記録されなければならないとするのみである事実が認められ、右事実からすると、右の基準は、酸素の濃度や投与期間について特に制限的な態度をとることなくこれを担当医師の裁量に委ねたものと考えられ、一方、乙第三二号証によると、昭和四六年一月当時発行されていた「小児科治療指針」(昭和四四年一二月一五日改訂第六版発行、昭和四六年五月一〇日改訂第六版第二刷発行)においても、未熟児に対してルーチンに酸素を投与することを否定していない事実が認められる。

そうすると、前記ガードナー法が本件当時医学界における定説であつたというには疑問があるといわざるをえない。加えて、前記ガードナー法により酸素の投与量を決定することは、ルーチンに酸素を投与することに比して、より本症の発生を抑制するものであるとしても、動脈血酸素分圧(PO2)とチアノーゼとの相関関係の有無については、本件全証拠によつても明らかではなく、単に酸素量を抑制して投与するというのに比してどれほど有益なものか実証されたものとはいえない。そして、一方、酸素量を抑制することは、前記のとおり、未熟児の生命に対する危険、あるいは脳性麻痺発生の危険を増大させるのであるから、結局、本件当時、未熟児に対する酸素投与量の決定はガードナー法によるべきであつたということもできない。

以上からすると、結局、昭和四六年一月当時においては、酸素療法を必要とする未熟児に対して、いかなる基準で酸素の投与量を決定すべきかについていくつかの方法が主張されてはいたが、そのいずれの方法も、酸素の投与について相互に矛盾する前記の要請を双方とも満足させる方法として未熟児保育の担当医に対して採用すべきことを要求するに足りるものではなかつたことが明らかである。

そうだとすると、結局、酸素療法を必要とする未熟児に対しどれだけの酸素を投与するかは、医師の裁量に委せられていたものとみるほかはない。

なお、<証拠>によると、昭和四六年一月当時、酸素濃度は四〇パーセントを限度とすべきである旨の主張がされていた事実及び右濃度は、一般に未熟児に対する酸素投与に対する安全限界であると理解されていた事実が認められるが、<証拠>からすると、右主張にいう四〇パーセントという数値自体にそれほど意味があるものではなく、右主張は、要するに、未熟児に対する酸素投与はできるだけ抑制すべきであるという程度を出ないものである。

そうしてみると、未熟児に対する酸素療法として明らかに不必要である場合をのぞけば、酸素濃度が四〇パーセントを越えたとしても、それ自体では、直ちに医師の裁量の範囲外にあるものとはいうことができない。

3  そこで原告について検討するに、原告は、前記のとおり出産直後及び翌一月五日に四肢にチアノーゼを呈したが、その後消失していたところ、一二日になつて再び生じている。また、呼吸については、出生直後は、呼吸音が弱く、シーソー様の呼吸運動をしており、一月九日になつて呼吸音が生じ、一一日には呼吸が楽そうになつたが、一二日には呼吸停止を繰り返している。

次に、前掲岡村証人の証言によると、新生児の場合呼吸数が一分間四〇回前後、脈搏が一分間一〇〇回前後がそれぞれ正常の数値である事実が認められるところ、原告の呼吸数については、前記のとおり一月五日午後八時に一分間六〇回、六日夜に一分間六五回、七日早朝に一分間五八回、一六日に一分間六三回をそれぞれ記録しており、脈搏については、一月五日は不整脈を生じ、出産直後から一〇日までは最低一分間一〇二回から最高一三二回の間を上下している。

以上の事実及び原告の右の状態が既に酸素の投与を受けているにもかかわらず生じているものであること並びに前記のとおり原告が生下時体重一二〇〇グラムであつて在胎週数二八週ないし二九週で出生した事実を総合すると、原告に酸素を投与することは、原告を救命するうえで、必要であつたということができる。

そして、前掲岡村証人の証言によると、岡村医師は、原告に酸素を投与するに当たり本症の発生と酸素投与との因果関係を十分認識し、かつ、原告に対して酸素を投与すれば原告が本症に罹患するかも知れないことを予見していたが、原告を救命し、脳性麻痺の発生を防止するためには本症に罹患するかも知れない危険をおかしても敢えて原告に対して酸素を投与する必要があると考えていたことが認められる。したがつて、眼科医との協力体制のもとで酸素療法を施行しなかつたことはしばらく措くこととして(二以下に判断する。)、前説示のとおり、原告に酸素を投与することが原告を救命するうえで必要であつたこと及び、昭和四六年一月当時においては、酸素療法を必要とする未熟児に対し投与すべき酸素量に関する明確な基準がなく、どれだけの酸素を投与するかは医師の裁量に委されていたことを考え合わせると、原告に対する酸素療法の施行上、岡村医師に裁量の範囲を逸脱した注意義務違反があつたということはできない。

二全身管理について

前記のとおり、本症は、網膜そのものの未熟性及び酸素の投与にその発生原因が存するから、岡村医師について原告の全身管理に過失があるとしてもそのことから直ちに、原告が本症に罹患したこととの間の因果関係を認めることはできない。

もつとも、全身管理に過失が存するために原告の全身状態が悪化し、酸素の投与量を増加せざるをえなかつたり、あるいは、本症の自然寛解を阻害したりする場合のありうることは否定できないから、全身管理の過失に起因して、酸素の投与量を大幅に増量したり、あるいは、全身状態が極端に悪化したりした場合には、その過失と結果の発生との間に相当因果関係が認められることもあるであろう。

しかし、右観点からしても、本件においては、全証拠によつても、岡村医師の全身管理に過失が存するために原告の全身状態が悪化した事実を窺うことはできないし、かえつて、取下前原告佐藤さ本人の供述によると、原告は、目以外は全くの健康体である事実が認められ、かつ、原告に対する酸素投与量は、前記のとおり、出生直後に毎分五リットルの酸素を投与して後、日を追つて段階的に減じられているのであるから本件において、岡村医師の全身管理に過失があり、そのために原告に対する酸素の投与量が増大したり、あるいは原告の全身状態が極端に悪化したりした事実はなかつたものと認めるのが相当である。

三眼底検査について

未熟児の眼底検査をすることは、前記一において判断したとおり、酸素の投与量を決定するガイドラインとしては意味を持つものではない。

したがつて、未熟児に対する眼底検査は、これによつて治療時期を決定することに意義を認められるに過ぎないが、右の意味における眼底検査は、有効な治療法が存在することがその前提となることは当然であるから、眼底検査をする義務の存否を明らかにするには、本症に対する治療法の存否を確定することが先決問題となる。

四本症の治療法

そこで、本症の治療法について検討する。

1  <証拠>を総合すると、次の事実を認定することができる。

すなわち、

本症の治療法としては、従来は、ステロイドホルモン等の薬物療法を行なうことが一般的であつたが、現在では、昭和四二年に天理病院眼科の永田誠医師の開発した光凝固法及びその後東北大学において開発された冷凍凝固法の物理療法が主流となつており、そのほかに間歇的酸素投与法がある。

しかし、ステロイドホルモン等の薬物療法の効果については、現在これを否定的に考えるのが一般であり、間歇的酸素投与法については、現在に至つてもその効果が実証されているわけではなく、いずれも、本症の治療法として確立されたものではない。

一方、光凝固法及び冷凍凝固法は、いずれも、網膜に光凝固あるいは冷凍凝固をすることによつて、血管増殖の進行しつつある網膜及び血管を破壊し、その増殖傾向を阻止しようとするものであり、光凝固法ないし冷凍凝固法による治療例が自然治癒と区別することができないとの理由から、その効果は実証されたものではないとする見解も存するけれども、我が国の医学界においては、光凝固法及び冷凍凝固法の有効性は一般に承認されたものであるということができる。

2  ところで、前記のとおり光凝固法は、昭和四二年に開発された治療法であり、冷凍凝固法の開発は、更に光凝固法より後であるから、本件において、現在光凝固法及び冷凍凝固法という治療法が存在することを前提として直ちに担当医の医療行為の当否を論ずることはできない。なぜならば、新しい治療法が発見・開発された場合、当該の治療法が臨床に実用されるまでには、多くの研究者による追試・研究を経て、その効果が著しいか、格別副作用もないか等の事実が明らかにされることが必要であつて、それらが肯定的に解決されたうえ、何らかの情報手段を通して通常の医師に認識されうる状態になつたとき、始めて医師の準拠すべき医療水準として形成されるものだからである。

したがつて、光凝固法の有効性が、果たして、昭和四六年二、三月当時において、通常の医師の認識できる程度の医療水準となつていたかどうかについて、更に検討しなければならない(なお、冷凍凝固法については、本件全証拠によつても、昭和四六年二、三月当時において、本症に対する有効な治療法として存在していたとは認めることができないから、以下においては、光凝固法のみを検討することとする)。

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一) 天理病院眼科の永田医師らは、昭和四二年三月及び五月に、網膜周辺部の血管新生の盛んな部分に対して全身麻酔下に光凝固を行ない、頓挫的に病勢の中断されることを経験した。そして、これを同年秋の第二一回臨床眼科学会に発表し、右発表の内容は、昭和四二年四月発行の臨床眼科二二巻四号に「未熟児網膜症の光凝固による治療」という題名で掲載された。

(二) その後、永田医師は、昭和四三年一〇月発行の眼科一〇巻一〇号掲載の「未熟児網膜症の光凝固による治療の可能性について」と題する論文において、再度、右光凝固治験例二例を紹介し、光凝固は施行の時期を十分に考慮して行なえば、本症活動期の進行症例に有効な治療法となる可能性があると考えられるとしている。

(三) 更に、同医師は、昭和四四年秋の第二三回臨床眼科学会において、前記二例に続いて、昭和四三年一月から昭和四四年五月末までに天理病院で保育した二例及び他の病院から紹介された二例の進行性の本症に光凝固を行ない、いずれもその病期で病勢の進行を停止させることができたことを発表するとともに、本症は適切な適応と実施時期をあやまたずに光凝固を加えることによりほとんど確実に治癒しうるとした。

右発表の内容は、昭和四五年五月発行の「臨床眼科」二四巻五号に「未熟児網膜症の光凝固による治療Ⅱ―四症例の追加ならびに光凝固法適用時期の重要性に関する考察」という題名で掲載された。

(四) そして、永田医師は、昭和四五年一一月発行の臨床眼科二四巻一一号掲載の「未熟児網膜症」と題する論文において、昭和四一年八月から昭和四五年六月までに光凝固法を施行した一二例(一二例中には前記六例を含む。)について、光凝固法の実施の遅れた二例を除いた一〇例に効果を挙げたことを報告し、光凝固法は、現在、本症の最も確実な治療法ということができるとしている。

(五) 一方、名鉄病院眼科において田辺吉彦医師が、昭和四四年三月から光凝固法による治療を開始し、同年一一月には関西医大の塚原医師が、昭和四五年に入つてからは九大附属病院においてそれぞれ光凝固法による治療を開始したが、右の各治療成績等が文献等に発表されたのは昭和四六年四月以後であつた。

(六) 永田医師らによる発表以外で光凝固法について述べている文献としては、植村恭夫医師が、昭和四五年一二月発行の日本新生児学会雑誌六巻四号に掲載された「未熟児網膜症」と題する論文において永田医師らの研究を紹介し、各地で光凝固法による治験例が出されていること、光凝固法によつて本症は早期に発見すれば、失明または弱視にならずにすむことがほぼ確実になつたと述べているものがある程度で、他に光凝固法について述べたものは存しない。

3 以上からすると、昭和四六年二、三月当時においては、光凝固法の実施結果を報告した文献は、永田医師による四編だけであり、その報告に係る実施例も一二例を数えるのみであつて、他に光凝固についての追試・研究等が広く発表された形跡もないから、永田医師の前記報告のみをもつて、光凝固法の有効性が一般に承認されており、しかも、それが通常の医師に認識されうる医療水準にまで高められていたとは、到底いうことができない。

そうすると、本件当時、本症に対する有効な治療法が、少なくとも、臨床医学上の水準的知識にまで達していなかつたとみるべきであり、そうである以上、未熟児保育を担当する岡村医師において、本症の発生を予測し、その治療時期を決定するために眼底検査を施行しなかつたとしても、その点に義務違反があるとはいえない。

四原告主張のその他の義務違反

原告は、岡村医師の過失として、そのほか、治療の懈怠、転医させる義務の違反及び説明義務違反を主張する。

しかし、右は、いずれも、本症に対する治療法として光凝固法が確立していたことを前提とするが、既に判断したとおり、光凝固法は、本件当時いまだ医療水準にまで高められたものとはいえないから、岡村医師において、未熟児たる原告に酸素療法を施行した際、本症発生の可能性があることを予見しながら、光凝固法による治療をせず、そのための転医をさせず、また、家族に対する説明を欠いていても、当時の医療水準上やむをえないところであつて、それらの点に義務違反があるとはいえない。

なお、<証拠>を総合すると、被告病院において眼科の加部医師が原告の眼底検査を施行した後、光凝固法による治療を受けさせるため原告を国立小児病院に転医させた事実が認められるが、右のような事実があつたからといつて、当時既に光凝固法が臨床上実用されていたとはいえないことは勿論であつて、右は、有効な治療法を確知しえない症例について、何とかこれを治療しようとする医師の努力として評価できるに留まる。

五以上のとおりであるから、原告が本症に罹患し失明するに至つたについて、その看護保育に当たつた岡村医師に過失があつたとはいうことができない。

第五債務不履行及び不法行為責任

昭和四六年一月四日、原告(法定代理人佐藤桂二郎及びさ)と被告との間に、原告の保育事務処理を目的とする準委任契約が成立したことは、当事者間に争いがないけれども、被告の履行補助者である岡村医師に過失が認められないことは、既に判示したとおりであり、また、被告病院全体に原告主張の義務違反がないことも、右判示に徴し明らかであるから、結局、被告に債務不履行に基づく責任を負わせることはできない。

そして、岡村医師及び被告病院全体に過失が認められない以上、原告主張の不法行為が成立しないことはいうまでもない。<以下、省略>

(橋本攻 一宮なほみ 綿引穣)

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